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論文: エレクトーンの存在意義と存在の限界を考える

エレクトーンの歴史は「未だ」50年ちょっとです。
今までの50年は、テクノロジーの発展と高度経済成長とバブル経済とITの発達によって、必然的にモデルチェンジに明け暮れた、ある意味今までの50年全て、試行錯誤の初期段階だったのでは、と私は思います。

かつての「オルガントーン」が横に押しやられ、楽器のカタチをしたコンピュータとなってしまった今、すっかり「カラオケマシーン」と化してしまったエレクトーンの、存在意義と、存在の限界、を、一(いち)エレクトーン愛好家として、改めてここに論文として書き記しておきたいと思います。

 



音楽との出会いと次へのステップ

一般的に、エレクトーンの存在意義として大きなものは、音楽との多面的な触れ合いと次へのステップとなることだと思う。

エレクトーンで音楽に触れて学んで、ここをステップに各自の音楽と出会ってそちらへ進んでいく (そしてエレクトーンは卒業となる)、そういう、次の音楽への架け橋となっている。
エレクトーンを弾いていたJOC出身者の多くや、コンクールで頂点となってプレイヤーにまでなった人たちが、更にはエレクトーン界全体での頂点に達した人たちまでもが、次々とエレクトーンを卒業していくこともうなずける。

私はピアノを大人になってから15年弾いたが、ピアノは基本的にただ楽譜通り弾くことに始終していたため、ただそれだけの世界だった。
クラシックピアノを弾いていても、クラシック音楽の他のジャンル~管弦楽曲、器楽曲、声楽曲、オペラなどへの、興味の発展があったとは、正直私の場合あまり思えない。

エレクトーンを弾いていると、多面的にポピュラー中心の音楽に触れて、様々なジャンルの音楽や、アレンジや即興や作曲etc. へと発展していくことができる。
更には興味さえあれば、様々な演奏形態のクラシック音楽へと興味を発展していける、という意味では、ピアノよりもエレクトーンの方が格段とそのステップとなりやすい。




プロの演奏現場での存在意義

現実的に、予算やスペースの都合でフルオーケストラやバンドを呼ぶことができないことは多いはず。
代わりにエレクトーンの奏者一人にお願いすることは多いかと思う。
逆に、生楽器等の奏者が存在する音楽の場では、あくまでも彼らの存在が最優先とされたい。生楽器の奏者の仕事を奪ってしまうようなエレクトーンの使い方は私は極力したくない。やはり生楽器の質感、音の迫力、情報量には未だに(恐らくこれからもずっと)電子楽器はかなわない。




セルフパフォーマンス・エンターテインメント

音楽の楽しみ方の一つとして、昔から自分でピアノなどを弾くというスタンスがあった。
最近のエレクトーンだと、様々な音やリズムが可能なので、セルフパフォーマンス・エンターテインメント (自ら演奏する音楽エンターテインメント) の幅が更に広くなった。




音楽の世界における経済効果

「エレクトーン」を「ドリマトーン」「ミュージックアトリエ」に置き換えていただいても構わないが、特に国内シェア断トツの「エレクトーン」の「規模の経済」の商業システムによって、音楽で食べていける人たちをどれだけ生み出してきているか、の存在意義は大きい。
但しそれらは、内輪的「クローズド・システム*」である現実は未だに色濃い。

* クローズド・システム: 外の世界とのつながりのない、内部完結型の閉鎖的システム。新幹線などが安全であるのはクローズド・システムである故である。






次に、私が観じる、エレクトーンという楽器の限界をいくつか挙げてみる。



一般音楽界で未だに認められていない!

「エレクトーンの素晴らしさを広めたい」と、もう数十年も前から関係者は語ってきた。しかし残念ながら、数十年経った未だに、テレビなどでの音楽番組を見ていて、エレクトーンが使用されているのをほとんど見たことがない。
これは一般音楽界のシステムの中で、エレクトーンという楽器は調和しにくい(他の楽器と競合してしまう)故かもしれない。

「エレクトーンプレイヤー」というこの世界の頂点のプロ集団さえ、一般音楽界でのメジャーアーティストと認められる人が未だに出ていない。大島ミチルさん(作曲家)など、メジャーアーティストとなった人はいるが、あくまでもエレクトーンを卒業した後のこと。私はこの20余年、ずっとエレクトーンメジャーアーティストの登場を待ち続けてきたが、未だに一人たりとも出てきてはいないのではないか!?。



ベーシックトーンの問題

基本音色。かつては言うまでもなく、オルガンフルートがベーシックトーンだった。
それがFM音源の登場以来、ストリングスがペーシックトーンとなった。
もしかしたらここから、エレクトーンの存在意義の曖昧さが露出しだしたのではないかと私は思う。


エレクトーンではないが、かつてのビクトロンコンクール (EO-M120, M150 アナログ時代のビクトロン) の音源を聴くと、ベーシックトーンはオルガン、プラス、様々な音色で表現されていたことがよくわかる。私自身も当時それが当たり前だと思って弾いていた。
1988年、私がヤマハに移った時点で、ベーシックトーンはストリングスとなっていたが (HS-8) 、かつての「オルガンフルートのドローバーをいろいろ変えるだけでなんでも弾ける」というふうには残念ながらストリングスという音色はなれない。必然的に様々な「にせ・生楽器」を使用しないといけなくなってしまった。
ここがエレクトーン・電子オルガンの曲がり角だったのかもしれない。


ヤマハの戦略の細かい箇所は私にはわからないが、アナログ時代のオルガントーンに関して言えば、エレクトーンとビクトロンはかなりポリシーが違っていた気がする。
ビクトロンでは引っ張るドローバーが付いていて、それだけではハモンドオルガンのそれとそっくりである。しかしそれだけではなくて、様々なエフェクトを凝らして様々な音色をつくり出していた。これは、ビクトロンは音の良さという特技があり、それを最大限に活かしていた故だろう。そして現在のローランド・ミュージックアトリエへとそのDNAは繋がっている気がする。

エレクトーンに関しては当時のことはあまり詳しくはないが、客観的に見て、最初から、ハモンドオルガンとはかなり違う路線を行こう、ハモンドには出ない様々な音色を!リズムを!エフェクトを! というポリシーだったのではないか!?。代わりにオルガントーンが、ややないがしろにされていたことはなかったか!??。




メーカー依存の問題
未だにエレクトーンをはじめ電子オルガンはメーカー依存から全く抜け切れていない。



他社間断絶と水面下での他社間リンク

但し教育現場では、ヤマハのプレイヤーがカワイやローランドなどで教えていることは実際にある。
その場合、あくまでも公のプロフィールなどでは他社の名称を隠してしまうことが多いことは誠に奇妙な現実である。
松本淳一氏がカワイドリマトーンコンクールの出身であり、CDを2枚出していることは、ドリマトーン関係者の間では誇りのような大きな事実であるが、ヤマハではひた隠ししている。松本氏自身、Web上で公に全く公表していない。またローランドで有名なヘクター・オリベラ氏はもともとヤマハエレクトーンの出身であることは意外と知られていない。

表面上では、ライバルでしかない同業他社のことは一切書かない。がしかし水面下ではかなりの他社間リンクがなされている現実がある。
それ自体はやむを得ないといえるが、次に示すデータ互換の問題は、一考を願いたいところである。



データの他社間互換の問題

各社電子オルガンがコンピュータ化した現在に至るまで、未だに、データの他社間互換が全くされていない現実は、客観的に見て奇妙ともいえる。
カワイの先生方は、ヤマハの楽譜を購入して、生徒さんのためにレジストやリズムを一から作成されている。そのご苦労には本当に頭が下がる。これは、データ互換がヤマハとカワイで全く存在しないからである。


その理由が、あくまでも他社にお客さんを取られたくない、という理由であることは想像に難くない。
が、現実的に、電子オルガンの他社への移籍や、他社間の渡り歩きは非常に困難を伴う。それは私自身が経験したことであるからいえるが、移籍には相当な決心と新たな初期投資が発生することを覚悟しないとそれは難しいと言いたい。楽器は大きく、操作は複雑で高価である故に。また教育システム(音楽教室やグレード試験)の存在は大きく、移籍を困難にしているといえる。
従ってデータの他社間互換が果して、どれほど顧客の他社への流出につながってしまうか、どうか。
むしろ他社間互換が、この業界全体の活性化につながるかどうかは、関係者の意欲次第ではないかと思うのだが、どうだろうか。




器用貧乏・中途半端な楽器であるということ



中途半端なオールインワン型シンセサイザー

かつてはエレクトーンとシンセサイザーは明らかに別の楽器であった。GX-1などは例外でエレクトーン=シンセサイザーであったが、700万なんてほとんど買える人はいなかった。
それがHS-8の登場で大きく変化した。廉価で購入できるエレクトーンに、DX-7と同じFM音源ボイスが搭載され、ボイスエディット機能が付き、自分の好きな音色に作り変えることができるようになった。


しかしそのボイスエディット機能、シンセサイザー専用機と比べて、エレクトーンやその他電子オルガンの、音色作成・エディット機能はどのくらいの機能を持っているのだろうか。
最近のSTAGEA等のそれらのことは私はよくわからない。STAGEAとヤマハのシンセサイザー専用機を両方ご存知の方がいらっしゃれば、その辺のご事情を教えていただきたい。


かつて、HS-8の時代、DX-7の操作を一通り経験した上で、ヤマハに移籍してHS-8のボイスエディット機能を操作したら、基本がわかっていたからとても入りやすかった。
しかしそれが本当にシンセサイザーとしての機能のほんの一部でしかないことは、DX-7を操作していたからすぐにわかった。中途半端なシンセサイザー機能。半ば愕然としたものだった。

ちょうどケータイカメラと似ている。画質はかなりよくなったとはいえ、機能的にはデジカメ専用機にはかなわない。それはメーカーがそのように作っているから(機能に差をつければ、それぞれの購買意欲が落ちない)。

エレクトーンのシンセサイザーとしての機能と、シンセサイザー専用機と差がないとしたら、エレクトーンのユーザーはシンセサイザー専用機を購入する必要がなくなってしまい、メーカーの売上となってくれない。だから少なくともそういう楽器の作り方は、今後もほぼ絶対にしないと私は思う。



一台で様々なことができるということは、ひとつひとつの機能が中途半端な集合体という、器用貧乏である現実がある。
そんな中でメーカーとしてはひとつのクローズド・システム内で商業シーンをつくりだすことはできるが、音楽界全体ではあくまでも中途半端、器用貧乏と見られても仕方がないのだと思う。






一方で、かつてそうだったように、「オルガン」としてのエレクトーン・電子オルガンが好きな人たちは未だに多い。私もその一人である。
オルガンフルートという、限られた音色内で、ドローバーを出し入れしてつくり出す無限の音世界は、それだけで一つの独立した音楽世界といえる。絵画でいう水墨画みたいな表現方法も、それはそれで決してつまらなくはない。
「オルガンフルートだけで弾きたい」という願望をもしあなたが抱いたとしたら、それを実行するのみである。
決して「オルガンだけではなくてもっといろいろな音を使いなさい」などと、先生は言う権限はないと思う。
またリズムも、使わないで弾く、或いは限られたプリセットリズムだけで弾く、など、決してシーケンスで完璧なリズムに頼ることなく演奏する道も、生徒さんが望むのなら、先生方は否定してはいけないと思う。

ちなみに、かつてのオートリズムの素晴らしい使い方とは、能の舞台の松の背景のような、バックのアトモスフィアをつくり出す役割を担う、そんなさりげない鳴らし方であった。それを、望むのなら今やったっていいのだ。



オルガンとしてのエレクトーン・電子オルガンが弾きたい……… このことをメーカーは決して無視することはできないと思う。無視してしまったらそれこそ、エレクトーン離れは加速してしまいかねないから。






以上、私はSTAGEAなど最新のエレクトーン・電子オルガンのことはあまりよくわからないのですが、あくまでもしばらく続くであろう普遍的なこの楽器の問題について、私が思うことを書かせていただきました。
以前ブログに何度も書いてきたこともございますが、あらためてこちらにまとめさせていただきました。
大切なのは、ひとりひとりが本当にエレクトーンを弾くことが楽しいこと。適度に商業システムが維持されること。そしてここから各自の次の音楽の世界へと歩を進めていく人たちがこれからも絶えないこと。
その上で、ひとりひとりが、100万円という初期投資をする決心をするか否か、決めることだと思います。
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Date: 2011.08.07 Category: 電子オルガン  Comments (2) 

この記事へのコメント:

Date2013.03.17 (日) 22:53:23

私もエレクトーンを子供の時にやっていました。その後ブラスバンドやドラムを経て、今はギターとDTM(cubase)をやっています。実家には90年代のエレクトーンがいまだにあるのですが、あれの値段を考えると、ソフトシンセやライブラリは極めて安価で高品質です。安いエレクトーンが60万位ですが、それだけのお金があれば、DTMだとゲームや映画でそのままサントラとして使えるだけの機材とソフトを揃えることができます。East west quantum leapのオーケストラの音をyoutubeできいてみてください。本物みたいでビックリです。

エレクトーンなどのサンブルを使った楽器が元の楽器にかなうことはありませんが、音楽的に素晴らしい域にはもう既になっています。motif xfの音色もものすごく本物に近いです。エレクトーンもそのうち本物とあまり見分けがつきにくいレベルの音が出せるようになるとおもいます。

問題は人間は同時に複数のことをやるとそれぞれの楽器に感情がこもりにくくなります。エレクトーンはあまりに多くのことをライブでやらなくてはいけないので、多大な練習を必要とするわりに、音楽的に素晴らしいと言える演奏を見たことがありません。少なくとも私は子供にエレクトーンをすすめることはありません。

shu

Date2013.02.28 (木) 02:18:28

論文を見て、私も同じように思いました。
ほんとに中途半端なんですよねぇ、エレクトーンもキーボード(サンプリング音色主力のシンセ)も、
俺はその他に楽器を弾く楽しさがないというのが理由の一つに上げられると思います。
例えば今私はバンドをしていますが、ドラムならば生ならではの迫力が有りそして楽しさがあります、ギター・ベースでしたらアンプのセッティング指の触れ方そしてボディーの共振までもが音と関係し決して同じ音など出せなくそこを詰めることに楽しさがあります、それに比べてエレクトーン、キーボードはどうでしょうか弾けば誰でもおんなじ音が出る、ステージでは大抵ボーカルと併用のスピーカーでヘッドホンよりは低下する音質・・・。
オリジナルバンドではまだマシでしょうキーボードはそこらのオリジナルバンドとは一線を引くオリジナリティを出す要因となると思います。コピーではギターと違い完コピ出来ない音が多々ありますからねぇ。そこから来る音の薄さなど理解して埋めてくれるギタリストさん等で無いとバンドで弾いてて楽しくないものがあったりします。

まぁ、色々とありますが、楽しくない楽器は人口増えることないでしょう・・・・。

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